つー訳で、コノタビこのよーなコラムを書かしていただく事になりました、東陽片岡と申します。んで本業は何をやってっかつーと、漫画や挿絵を描いてメシの種にしているケチな野郎でございます。
 ワタシは本年で53歳になりましたが、普通に生きられたとしても余命あと20年とちょっと。ですのでこれから何かを成し遂げようとか、儲けようなどというユメやチボーなんつー物は、もはや出がらし程も残っておりません。おまけに努力したり頑張ったりするのがしこたま苦手なものですから、はっきし言ってお先真っ暗な状態なのでございます。
 このよーにユメもチボーも無く、努力したくないワタシですが、ナゼだかやる気だけはあるのです。やる気お満々つー程ではありませんが、すこぶる気力だけは充実しております。体調も絶好調と言って良いと思います。オナニーも毎日こなしています。顔面もテカテカしているとよく人に言われます。
 ただ、現時点において、未来にまるで感心が向かないだけなのです。ですから脳ミソは自然と過去へと働き始めてしまいます。つまり今のワタシは、思い出だけが心のヨスガと言っても過言ではありません。気力を充実させて過去を振り返る。まるで自分が若返っていくかのようです。
 もともとワタシは20代の頃から、思い出で生きてきた気がします。「昔は良かった」なんて言ってた30年前を振り返っちゃ、これまた「昔は良かった」なんて思ってる訳です。ただ20代、30代の頃の「昔は良かった」は、そう思いながらも将来への期待感が、ほのかに湧き起こっていたものです。それが50歳を過ぎると消え失せてしまうのですから、なんと恐ろしい事でしょうか。
 もう未来への展望が無いのですから、迷う事なく昭和の時代、特に昭和40年以降の思い出にドップシと浸れば良いのであります。
 つー訳でいきなし昭和40年代前半へと話は飛びます。東京都北区に十条つー町がございまして、ここでワタシは小学生時代を過ごしたのでございます。現在の地図で見ますと、十条仲原一丁目町内に当時3軒の駄菓子屋がありまして、それらが我々ガキ共の憩いの場となっていたのであります。
 十条仲通り商店街に面している通称「釣り道具屋」。ここが我が家から一番近い事もあり、入り浸っていた駄菓子屋です。んでその近所にもう一軒、目の悪い老夫婦が営む駄菓子屋がありました。この店でワタシをはじめ悪ガキ共が、見張られていないのをいい事に勝手にくじを引いては当たりを出し、景品をせしめるという悪行を働いておりました。とはいえ良心が咎めるもので、よほどお金の無い時だけに限ってましたが。現在ビンボーなのは、この頃のバチが当たっているのかもしれません。
 さて、そこから少し離れた所にある通称「お好み焼き屋」つーのが、今回のネタでございます。ここには駄菓子売り場の隅に、ガキが鉄板を囲んで4人座れるお好み焼きコーナーがあり、腹をすかしたワタシは、冬場などかなりの頻度で遠征していたのでございます。
 ごみバケツにビチャビチャの生地が仕込んでありまして、柄杓でアルミカップに注ぎ1杯30円つーあんばいであります。本物の下町で主流となっていた”もんじゃ焼き”ではなく、十条のここではあくまでもギリギリで固まる、すこぶる透明度の高いお好み焼きだったのでございます。
 ですのでこれを年中食っていたワタシは、いまだにもんじゃ焼きに郷愁を感じないし、あまし食いたいとも思いません。現在でも、もんじゃ焼きよりも、透き通ったペラペラのお好み焼きの方がウマいと思っております。第一ベロベロとナメたコテを鉄板にこすり付けるなんて、気持ち悪くて仕方ありません。
 んで、そんなお好み焼き屋の常連に「ほづみちゃん」つー同級生がいたのであります。背が低くてオカッパ頭の、とても貧乏くさい感じの女の子で、いつも駄菓子屋でソースせんべいかじってをりアメ玉をなめてるよーな、いわば駄菓子屋の女王つー女の子だったのであります。
 今思い返すと、子供として充分カワイイ女の子ですが、当時ワタシはいじめっ子でしたので、ほづみちゃんをよくからかったりしていたのでした。冬場など、彼女がいつもはいている毛糸のパンツを見たくて、スカートめくりなんぞやっておりました。
 なんでかつーと、彼女は明るくて愛嬌があり、なおかつ面白い顔をしていたからであります。ちょうど上のイラストでハナを垂らして笑ってる女の子がそうで、なんかこう最近の若い人達にはお目にかかれない顔面と、フンイキの持ち主でございまいした。
 もはや現代では絶滅危惧種となったほづみちゃんが、今頃どこで何をしているだろうかと、フト考える時があります。あの独特の笑い顔、貧乏くさい佇まい。そして明るい気だてなど、今も健在だろうかと気にかかります。
 ほいでもって話は突然去年の春に変わります。おムード歌謡グループの「サザンクロス」が毎年この時期、一泊ディナーショー旅行つーのを開催しておりまして、ワタシは観光バスに乗って長野県の某ホテルへ向かったのであります。三百人程の観客でディナーショーは盛り上がり、その後の飲み会へと席は移ります。更に三次会になると各部屋で知り合い同士の酒盛りとなるのですが、ワタシがサザンクロスの関係者と飲んでたら、ドヤドヤと4、5人のオバさん連中が部屋に入ってきたのであります。皆さんすでに出来上がって、テンションもかなり高くなっております。
 ワタシの前にアグラをかいて座り、しわがれた声で「ギャハハハ」とよく笑い、しゃべるおネエさんを見ているうち、稲光のよーに記憶がよみがえったのであります。
 そう、ほづみちゃんにソックリだったのでございます。少なくともほづみちゃんが40数年たったらこーなった、と言われても充分納得する程の面白い顔面と貧乏くささ、んで明るい性格の50代と思われるおネエさんだったのであります。
 自分の事を「オレ」と呼び、「バカおめぇ」を連発する言葉使いの悪さは、たぶん彼女の40数年間の暮らしがそうさせたのだろう、と思うと、これまた納得出来てしまう気がいたしました。とはいえ、男がいないと生きていけない、つー熟女の色香も漂っておりまして、もしこの人がほづみちゃんだったら、あの駄菓子屋の女王がそのまま熟成された姿なんだなと、実にしみじみとした気分にさせられたのであります。
 結局、その方がほづみちゃんだったかどーか確かめぬまま帰ってきました。世の中にはハッキリしない方が良い事もあるのです。
 それとしても今回このコラムの第一発目に、なんでほづみちゃんを思い出してしまったのか、ワタシにもまったく理由が解りません。何気なく関わった人、取るに足りない人との会話ほど、心にこびりつきやすいつー事でしょうか。
おひまい。。

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